「ヨットに乗った少女」の孤独な闘い:批判するのは簡単でも…(2019.9.25配信分レビュー:その1)
- ほぼナイ! HEAD LINE -
<孤独な闘いが続いています>
環境問題への危機感から、スウェーデンでたった一人で立ち上がった16歳の少女、環境活動家のグレタ・トゥーンベリ (Greta Thunberg) さんが国連総会での演説の為にボートで渡米、2週間の船旅を無事終え、先月28日にNYに到着しました。
今から1年前の2018年8月20日の金曜日に、たった一人で母国のスウェーデン議会の前に立ち、「気候のための学校スト」と書いたプラカードを掲げる、というデモ活動を始めた少女は、決して少なくない批判の声にさらされながらも週に一度、毎週金曜日のこの活動を継続、SNSなどの拡散で着実に賛同者を世界中で増やしてきました。
そしてわずか一年で少女の活動は、ついに国連を動かすまでになったのです。
(以上 HEADLINE 2019.9.25)
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【ココがヘン!ニッポンのニュース】「ヨットに乗った少女」の孤独な闘い:批判するのは簡単でも…
<参考:BBCニュース> 憎悪の個人攻撃、「激しさ増している」 気候変動訴えるトゥーンベリさんが反発
グレタ・トゥーンベリ (Greta Thunberg) さんとは
日本が実は環境問題に消極的な環境問題後進国だ、というハナシはこのブログでも何度かしてきたけど、今回も結局はそんなお話。
「ほぼナイ!」で Key Word としてご紹介した、アンファン・テリブル(恐るべき子どもたち:Enfants Terribles)を地で行くスウェーデンの少女、グレタ・トゥーンベリ (Greta Thunberg) さんが日本のMSM(Mainstream Media:大手メディア)で取り上げられたのは、例によって海外メディアが騒ぎだしてからずーっと経ってからだった。
大々的に取り上げたのが今回の国連演説で、相変わらず環境問題に対する感度が低い。
で、そのグレタさんが世界のメディアで脚光を浴びたのが今から約1年前。去年の2018年8月20日の金曜日に、弱冠15歳(当時)の少女がたった一人で(スウェーデンの)国会議事堂の前に立ち「気候のための学校スト」と手書きしたプラカードを掲げる、という抗議活動を始めた。
もちろんストなので学校を休んで、という事を堂々としかも議事堂の前で、というかなり唐突かつ乱暴にも思えるこの行動は、あっという間にSNSやメディアなどで世界中に拡散した。
グレタさんの発言はそのネットでの発信やメディアのインタビューに対する受け答えが、その行動と同じく、あるいはそれ以上に、良く言えば力強い、悪く言えば(大人に対して)挑戦的というかケンカ腰とも取れるモノだったことで、賛同や称賛の声と共に、批判の声も少なくなかった。
その上、このグレタさんは「アスペルガー症候群:Asperger Syndrome」という自閉症の一種であることを告白している。要するに「いわゆる」精神疾患だ。なぜ「いわゆる」というかというと、彼女自身が自分の置かれた状況を決して「自分は(精神疾患の)患者だ」と悲観してなくて、それどころか自分の症状を “superpower” と呼んで前向きに捉えている。
いろんな意味で、実に立派な少女、と素直に称えれば良さそうなもんだとボクは思うけど、彼女の言動に批判的な人々は、この疾患をなんと批判の理由の一つにしていたりする。「アスペルガーだから学校をサボってまで環境活動に熱を上げてるんだ」とか。
この人々の基準からすると、気の毒にも幼くして精神疾患を患っているいたいけな少女をバッシングするなんてとんでもなく卑劣な行為、になるんじゃないかとボクは思うけど、彼女に批判的な人々は、自分の考えにあわない、もっと言えば自分が気に食わない相手は、いたいけだろうが、気の毒だろうが、か弱かろうが何だろうが、そんなことはどうでもいいし、オトナの(というか自分の)言う事を聞かないクソ生意気なガキには、自分の将来を本気で心配する権利も認めたくないらしい。
“How dare you!” にどう応える?
そんなグレタさんが、国連総会で演説した。世界の首脳を目の前に堂々とスピーチする姿は、文字通り「アンファン・テリブル」だったとボクは思ったけど、アンチ・グレタな人々からすると、何の可愛げも感じられず、オトナに敵意をむき出しにしているようにしか見えない彼女の言動は、相当に気に食わなかったらしい。
特に世界中のメディアに大々的に取り上げられた “How dare you!(よくもこんなことを!)”という彼女のフレーズは、恐らく国連総会の場にはおよそ似つかわしくなく、攻撃的な彼女の言動を象徴するものとして、少なくとも賛否両論を巻き起こすには十分なインパクトがあった。
ということで「ほぼナイ!」でも一部ご紹介したこの彼女のスピーチを、動画付きで全文掲載したページをご紹介しておく。
日本だけじゃなく、世界中で彼女に対しては文字通り賛否が分かれている。その割合はもちろん国によって差がありながら。当然、環境問題に熱心な国ではグレタ肯定派が多く、環境問題に消極的な国では否定的な声が多くなってくる。
グレタ批判に限らずだけど、環境活動家や積極的な姿勢を示す著名人に対する批判のほとんどは、「お前も○○してるじゃないか」的なものが飛び交うことになる。
今回のグレタさんが環境負荷を減らす意図で、ベジタリアンになったり、家族の飛行機利用を止めさせたり、といったライフスタイルの変更を実践していることについて、その不備(十分な温暖化ガス削減ができているわけではない)をご丁寧に突くような批判に終始している。
じゃあ、あなたはどうなんだ、という反論はすぐに思いつくけど、それより何より、結局文化的な人間の生活に温暖化ガスの削減なんてできない、なんて斜に構えるのはその人の勝手かもしれないけど、他人に「無駄だからあきらめろ」と強制する権利がないことははっきりしている。
グレタ批判だけじゃない。
昔の話になるけど、映画『不都合な真実:An Inconvenient Truth』で話題になった アル・ゴア:Al Gore 元米副大統領の毎月の電気代が明らかになった際、その額が多い=電気の使用量が多い、というのが批判の対象になったことがあった。
そりゃ、当然電気の使用量が少ない方がエコな生活にかなう事ではあるけれど、ゴアの生活はエコじゃない→ゴアってヤツはエコじゃない→ゴアの言ってることは真面目に考える価値がない、とばかりに乱暴にすべてを否定するのは無理があるし、科学的でも論理的でもない。
ゴアの指摘した問題と、ゴアの私生活は、言うまでもなく別物だ。
一事が万事で、グレタやゴアのような「エコな連中」の個人攻撃に終始しても、問題の解決には全くならないし、そんなことをしている間にも、地球環境は悪化していることが多くの科学者に証明されていて、トランプ米大統領のような未だに環境問題懐疑派、って人は完全に国際社会では圧倒的なマイノリティだ。
そして日本も、かつての京都議定書の栄光も過去のハナシ、着実に国際社会ではマイノリティに堕ちていっている、という事実は日本では、特にメディアが取り上げることは少ない。
少なくとも日本のMSMに環境問題を真剣に取り組もうとしている姿勢は、残念ながら微塵も感じられない。
グレタさんが日本語が分からず、日本の事情に疎いから助かって(?)いるけど、もし彼女に日本の現状がバレたら “How dare you!” とキレられるのは間違いない。
その時に日本のMSMは彼女にどう反論するんだろう?
イサ&バイリン出版 解説兼論説委員 合田治夫
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