<驚きを超えて呆れを伝えています>

生まれつき茶色い髪の黒染めを強要された大阪府立高校の女子高生が府を訴えた事件は、多くの海外メディアで驚きをもって伝えられています。

大多数の海外メディアはこの問題を人権問題と捉えており、生徒の髪の色を学校側が強制したことを、生徒の人権を蹂躙(じゅうりん)・軽視するものと見ており、この事件が先進国であるはずの日本で起こっていること、更に日本国内で学校側の強制を容認する声が相当数あることなどを、驚きや批判を交えて伝えています。

(以上 HEADLINE 2017.11.22)

< ほぼナイ! レビュー動画(Vol.29)【 見逃し配信を視聴 (YouTube)】>


『ココがヘン!ニッポンのニュース:黒髪強要問題:ブラックの、ブラックによる、ブラックについての報道

<参考:アゴラ「大阪府立高校の髪染め強要」批判への違和感。

海外メディアもビックリのトンデモ教育

普段は日本のメディアが「ほぼ」取り上げ「ナイ」報道や視点をご紹介しているほぼナイ!」だけど、今回は珍しく多くのメディア報道と同じ論調になるので悪しからず。ただし「ほぼ」、だけど。
大阪府立女子高生が学校にもともと黒くない髪を黒く染めるよう指導(強要)された事件は、ワイドショーなどでも取り上げられたようなので、ご存知の方も多いだろう。
そして、今回の参考ページでもある通り、どのメディアも学校側を擁護する声はないようだ。
どのメディアを見ても論調が似通ってて、誰かが悪い、となると一斉に叩く、というのは日本のメディアの特質でもあるけど、今回ばかりは仕方ない。
学校の指導が適切だった、なんて意見はまずお目にかからないので、元教師の方が寄稿されている参考ページをあえてご紹介したけど、このページも指導自体が事実だったら問題、としていて、黒髪強要そのものを認めてるわけじゃない。

このニュースは海外メディアでも多数取り上げられているようで、ちなみにその中で黒髪強要を是とするような意見はまずない。
むしろ逆で、日本は先進国なのに、こんな人権意識の低い話はあまりにレベルが低すぎるだろ、という一種の驚きや呆れ(あきれ)のような感情を交えて伝えている、といった印象だ。

Japan teen ‘forced to dye hair black’ for schoolBBC

今回、日本の大手メディアでは、かなり強く学校側を批判する論調が大勢だけど、海外メディアとは決定的に違う点がある。
もちろん、海外メディアにとっては、結局は他国のハナシで、他人事だ、っていうのはあるけど、それでも、この問題に対する議論のスタートが明らかに違う。
日本のメディアでは、黒髪強要が良いか悪いか、で議論をはじめてるようだけど、海外メディアはそんな次元の低いところで話がはじまることはない。
それどころか、海外メディアはそんな良いか悪いか、なんて議論をしようともしない。
それは、他人事で興味がないから、というわけではなく、(黒髪強要がいけないかどうかなんて)議論する価値がない、と思ってるのだ。だって、当たり前すぎる話だから。
海外メディアにとって、このニュースは議論する価値もなく、当然のように人権問題で、そんなレベルの低い行為が先進国である筈の日本の公立学校で当たり前のように行われている、という、まさに世界のトンデモニュースの一つとして取り上げられているのだ。
そして、このニュースについて(当たり前すぎて)議論する必要もない海外メディアは、日本の学校教育の現状をいろいろ調べ出し、様々なトンデモ校則を取り上げたり、黒髪強要はおろか「地毛証明書」なるものの存在まで見つけ出し、日本の学校教育の「異常さ」を、半ばエンターテイメント的に伝えたりしていた。
まるで、そうでもしないと、驚きを超えたある種の恐怖の感情をコントロールできないかのように。

人権意識が低い大手メディア

なぜ日本の大手メディアは、海外メディアのように黒髪強要の是非をすっ飛ばした、黒髪強要=悪、という前提からスタートするような報道をしないのか。
それは、当のメディアの側が、黒髪強要=とんでもない人権侵害で絶対悪だ、という認識に乏しく、そんなにはひどいことだと思っていないからではないか。
だからこそ、まずコメンテーターにコトの善悪を議論させたり、良くない話だなんて当たり前の話で議論が終わってしまったりするのだ。

ほぼナイ!」では何度も指摘してきたけど、日本で最もブラックな企業、それはテレビ局や新聞社といったメディア企業ではないか。
そしてそのブラックの頂点にいるのが、まさに今年、元社員の故高橋まつりさんの存在で問題になり、これもほぼナイ!」で何度も取り上げた電通ではないか。
電通は文字通りメディアの頂点にあり、その一方で社員の労働環境はまさにブラック企業と呼ぶにふさわしいものであることが明らかになった。
そして、放送日時や発売日といった厳しい締切を常に抱えるメディア各社、中でもテレビ各局(特に在京キー局)は非常にブラックな労働環境にあり、それでも足りずに相手にとって劣悪な労働条件を強いる契約を制作会社などの下請けに押し付け、とても人権を語るような状況にないことは、ボクのような部外者にも知られるところとなっている。

そんな状況でありながら、他の企業や学校などを人権問題で当然のように糾弾するメディアの振る舞いには、一種の怒りのようなものすら感じてしまう。
そして大手メディアの語る人権意識が、実はいかに低いかは労働環境以外でも数え切れないほど見つけることができる。
例えば高校野球。未だに後を絶たない厳しい指導から発生する事故や、事故にまでは至らなくても過酷なプレー環境や非人道的な指導風景は、未だなくなることはない。そもそもあの強制される生徒たちの坊主頭は、欧米の価値観から考えると、それだけで既に人権問題になる。黒髪強要とどこが違うのか。そんな高校野球の全国大会を主催するのは、毎日新聞と朝日新聞。リベラルと評される両社にして、この程度なのだ。
その他にも、大手芸能事務所所属のタレントが劣悪な労働環境に置かれている問題については一切批判しない、といったダブル・スタンダードも目に付く。
犯罪報道における、被害者及びその家族などの弱者に対する報道姿勢や取材姿勢の問題点も、数多く指摘されながらも、相変わらず変わる気配がない。
日本の大手メディアの人権意識、推して知るべし、だ。

黒髪強要は人種差別のはじまり

当たり前の話だけど、髪の毛の色なんて生まれつき決まっている。純粋な日本人(というのがいるかどうかはさておき)同士の両親から生まれた子どもの髪の色が、必ず黒髪になるとは限らない。
いや、それ以前に生徒全員のルックスを同じにしようという発想が、自分と異なるルックスの人をみんな同じ人間で仲間だ!とせずに自分たちと同じ色に染めよう、という発想は、欧米では 人種差別Racism と見なされる。
こういう 人種差別Racism 的考えを間違っていると教えるのが教育の役割の筈なのに、その教育の現場で差別を助長するような指導をしてどうする
と、差別を批判するのは簡単だけど、残念ながら人間は、差別する生き物だ。小さいときから人は見かけで判断してはダメ、とか言われてるのに、人の好き嫌いは見かけで判断するケースが多い。
そうでなくても、日本社会は排他的なムラ社会で、外国人などの自分とは異質な存在に極めて冷たく配慮に欠けると指摘され続けているのだ。

黒髪強要問題は、実は大手メディアで扱われている内容以上に根深い。
だが、肝心の報道するメディアが、日頃の自分達のブラックさに、恐らく気付いていない。
「ブラック(な日本社会)の、ブラック(なメディア)による、ブラック(な髪)についての報道」
と、今回も結局はメディア批判になってしまった。

イサ&バイリン出版解説兼論説委員 合田治夫