今春注目映画の「共通事項」:同じ「紙」でも、お国違えば…(2018.4.25配信分レビュー:その3)

<共通のテーマが話題となっています>
辻一弘氏

辻一弘氏(写真:日経ビジネスONLINE)

今春注目の映画「DARKEST HOUR(邦題:ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男)」「THE POST(邦題:ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書)」が相次いで全国公開されました。時節を反映したテーマが話題となっています。

いずれも海外の史実に基づいたこの二本の映画。
DARKEST HOUR」はイギリスの元首相チャーチルの首相就任時のエピソードを中心に描かれた映画。今年のアカデミー賞で辻一弘氏が日本人初のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したことでも話題となりました。
THE POST」はウォーターゲート事件当時のワシントン・ポスト紙の社内を舞台とした映画です。

(以上 HEADLINE 2018.4.25)

< ほぼナイ! レビュー動画(Vol.33):【 見逃し配信を視聴 (YouTube)】>

『ココがヘン!ニッポンのニュース:今春注目映画の「共通事項」:同じ「紙」でも、お国違えば…

<参考:The Urban Folksモリカケ問題で国会を批判する人たちへ

2つの映画、存在感放つ「紙」

今春、ノンフィクションの海外映画2本が全国公開された。
DARKEST HOUR」と「THE POST」は、海外映画ではよくある様にそれぞれ原題とは異なる邦題がつけられたけど、それ以外にもかなり共通点が多い。
偶然にも、日本では「モリカケ騒動」が話題になって随分経つ。
「忖度」なんて海外ではほとんど耳にしないコトバもすっかりおなじみになったけど、それ以上に海外ではありえない状況が「モリカケ」では繰り広げられている。
それが「記録」つまり「紙」を巡るドタバタ劇だ。
役人が記録を書き換えた、その書類が見当たらない、捨てた、実はあった、そんなことは大したことじゃない…この一連の騒動、海外では絶対にあり得ない。
なぜかと言うと、行政に関する「紙(記録)」に手をつける、ということはその国の歴史に手をつけるということで、国家を侵す重罪になるからだ。
国が国なら有無を言わさず死刑、ということになるハナシだ。決して大げさじゃなく。

DARKEST HOUR」と「THE POST」は、イギリスとアメリカという遠く離れた時代も違う舞台で切り広げられる映画だけど、この点がしっかり描かれている。
DARKEST HOUR」でのチャーチルは、後世の検証に耐えうる決断をしようと葛藤し、その過程を秘書に文書に残させる際、その文書の細部にまでこだわる場面が描かれている。
一方の「THE POST」は文字通り、歴史の証人である 新聞 つまり Paper が主役だ。

そもそも日本は歴史のある国だったハズだが、だからこそなのか、為政者に都合が悪い話はバンバン葬り去られてきた。
ほぼナイ!」で言ったように、過去には役所内で都合が悪いことが起こると、まるで神風が吹いたかのように「紙」がもみ消されてきた。なぜか。いつの間にか。
生配信時には長野五輪当時の文書隠ぺいの話をしたけど、よく考えてみたら公文書隠ぺい・改ざんの歴史は、何百年も、いや何千年も遡れてしまう。
日本の独自の文化、なんて事では、片づけたくないなぁ…

ウラヤマしい、「THE POST」の世界

THE POST」には、配給元が「モリカケ」にワザとぶつけたのではないか、というようなテーマが更に隠されている。
いや、隠されているというか、モロに描かれている。
映画の中で、メリル・ストリープ演じるワシントン・ポストの発行人(一般の会社で言えば社長)キャサリン・グラハムが、政府の要職にいる人物とたまたま友人関係であったことで、政府批判の報道を優先するか、友人関係を取るかで板挟みになるシーンが出てくる。

まさに今の日本のメディアが置かれてる状況そのものだ。
以前にも「ほぼナイ!」で言ったと思うけど、日本のメディアが、安倍総理の親友と言われている、そして加計問題のキーパーソンである加計孝太郎氏に、全く追及はおろか取材すらしない、という状況。
いや、全く一緒じゃない。あっち(キャサリン・グラハム)は、本当の友人関係だったけど、こっちはそうじゃない。
日本のメディアが加計氏と友人関係にある、なんてことはない。
単にメディアの上層部が加計学園側の接待漬けだった(このハナシも当然のように大手メディアには一切出てこない)、ってだけの話。
だったら知らん顔してガンガン批判すれば良いと思うのだけど、変なところで日本のメディアは義理堅いらしい。

ボクは結構そういうところはイタい :mrgreen: ので、過去にオゴられてようが何だろうが、悪いことは悪いと言ったり、平気で批判する。多分。
と言うと、なんかものすごく欧米ナイズされてる感じだけど、もちろん欧米にも義理人情はある。
なので、そもそもメディアの人間は、取材対象者になるかもしれない人物に対して、オゴってもらうなんてコトは、絶対NG、御法度になっている。
もちろん取材対象者と取材の一環で食事の席を共にする、なんてことがあったとしても、相手に自分の分は絶対に払わせないそうだ。
それが例え1ドルでも、なんて厳格に決めているメディアもあるくらいだ。
それくらい、取材対象者との付き合いには注意を払い、絶対に借りはつくらない。
それがジャーナリズムがジャーナリズムであり続けるための、大原則なのだ。

一方の日本は、メディア(の上層部)が取材対象者である政治家や財界の大物のゴチになるどころか、そのことを「喰い込んだ」などと自慢しまくる、というトンデモない勘違いが昔から繰り返されている。
そんな状況でイザというときに、まともな批判ができるのか。
今の「モリカケ」に限らず、メディアの「不作為」はず~っと続いていることを見れば、彼らがボクのように「イタさ爆発」じゃないことは明らかだ。
だったら、欧米のメディアを見習うしかない。

そんなワケで、この2本の映画、今の日本の現状と照らし合せて観ると非常に興味深い見方ができるんだけど、もちろん日本のメディアはこの2本をそんな風に取り上げることはない。
残念ながらまだ観てない、という方は、もう映画館で観るチャンスはかなり限られた地域のみだと思うので、商品化(DVD/ブルーレイ)やテレビ放映の時期になるのを待ちましょう。

イサ&バイリン出版 解説兼論説委員 合田治夫

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