ピエール瀧「容疑者」逮捕の余波:「個人的犯罪」を批判する日本社会(2019.3.27配信分レビュー:その1)
ー ほぼナイ! HEAD LINE ー
<誰のための自粛なのでしょうか>
ミュージシャン兼俳優のピエール瀧さんがコカイン使用の容疑で逮捕されたことに伴い、所属グループの楽曲が軒並み配信停止や販売中止及び回収の措置が取られたことに、ファンや関係者などから抗議や疑問の声が上がっています。
瀧さんの所属する「電気グルーヴ(電グル)」は国内有数のいわゆる「テクノ」グループとして知られています。
グループ活動初期に加わった砂原良徳さんの脱退以降は、石野卓球さんとの二人組として人気を博していました。
瀧さんの逮捕報道を受け、即座に「電グル」の所属事務所であるソニー・ミュージックアーティスツは、「電グル」の全作品の販売を停止、店頭の商品も回収措置をとる徹底ぶりで、加えて各音楽配信サービスでの楽曲配信もすべて中止することが発表されました。
この事務所の対応については、事件に直接関係のない石野さんの楽曲販売を取り止めることになるなることもあり、ネット署名サイト「change.org」で「電グル」作品の販売再開を求める署名が行われるほか、複数のミュージシャンから批判の声が上がるなど、今後の事務所の対応にも注目が集まっています。
(以上 HEADLINE 2019.3.27)
< ほぼナイ! レビュー動画(Vol.44):【 見逃し配信を視聴 (YouTube)】>
『ココがヘン!ニッポンのニュース:ピエール瀧「容疑者」逮捕の余波:「個人的犯罪」を批判する日本社会』
<参考:ハフポスト> 坂本龍一さん「音楽に罪はない」 電気グルーヴ作品の出荷停止に、声を上げるミュージシャンたち
またも「容疑者」連呼のメディア
「電気グルーヴの瀧がコカインで逮捕」というニュースは、瀧さんが近年の積極的な俳優活動を展開していたことから、テレビや映画の分野で大きな影響が出ているらしい。
そして「超大物」じゃない、もっと正確に言うと、ジャニーズなどの業界内での影響力が大きい大手事務所に所属しない瀧さんは、大手メディアからすると「例によって」格好の「餌食」になる。
例えば、もし瀧さんがジャニーズの人気グループに所属するアイドルだったら、きっと事件発覚当初は「瀧メンバー」とかいうワケのわかんない呼び名がついたかもしれないし、報道内容も大幅に抑制されたものになっていた筈だ。
そして、そんな「超大物」じゃない瀧さんは、他の「容疑者」同様、完全に「推定無罪:Presumption of Innocence」の原則はスルーされ、極悪人扱いだ。
通常、民主的な司法制度を有する国において、「疑わしきは罰せず」は大原則で、それを罪が確定する前の(瀧さんはもちろん、先月取り上げたゴーン前会長も含む)容疑者を、寄ってたかってバッシング、なんて絶対あってはならないこと、とされています。
ところが日本社会はそんなことは見事に完ムシ。
そんなことになっちゃうのはなぜかと言うと、日本の司法が有罪率99.9%とも言われる、諸外国ではまずありえない異常な高さが背景にあって、「逮捕=罪人」という公式が完全に日本社会全体に刷り込まれてるというのもあるとは思うけど、それ以上に大きいのは、くどいようだけど、またも「記者クラブメディア」だ、と断言しておく。
日本の事件報道が異常なのは、国内の主要メディア=「記者クラブメディア」が警察や検察内にも当然のように存在する「クラブ」に対して情報を「意図的に」流し、それを「クラブ」所属のメディアがそのまま一方的に「事実として」報道する、という、容疑者にとって実にアンフェアなことを、さも当然のように行っている。
本来、刑事事件の報道は、警察・検察側と容疑者や被告側で立場が完全に違うのだから、それぞれの立場をフェアに伝えるか、むしろ通常は強い立場にいる警察・検察側を若干キビシめに見るもので、警察・検察の暴走を監視する、というのがメディアの本来の立ち位置の筈が、日本の場合は不幸なことにその逆。
通常は、容疑者の主張はほぼ無視され、社会のバッシングや偏見を助長する役割に積極的に加担しちゃっている 😥
そして当然のように、容疑者の罪が確定して以降の、更生や社会復帰を思いっきり邪魔している事の責任も取らなければ、謝罪もない。
更にヒドい(しかもこれがコワいことに少なくない)のが、実は冤罪、つまりホントは無実でした、という場合。
事件自体があんまり大きくなければ、メディアは当然のようにそのこと自体をムシするし、デカく取り上げ過ぎてしまって収まりがつかない場合は、それまで自分たちが情報をもらってきた恩義(?)も何もかもなかった事にして、急に警察・検察をバッシング、「元」容疑者や被告は「悲劇」のヒーロー(ヒロイン)扱いだ。
そしてここが一番大事なトコだけど、自分たちの報道が誤っていたこと、更にはその誤った報道が「悲劇」を生んだり助長したりしたことに対する検証もなければ、謝罪もない。
ということで、先月のゴーン前日産会長にしても瀧さんにしても、メディアが悪意と偏見たっぷりに「容疑者」だの「被告」だのと報じまくっていて、確かにそれは日本の司法制度から言って間違った呼称ではないけど、その司法制度の大原則を完全に踏みにじった報道を繰り返すメディアへの抗議の意味を込めて、「ほぼナイ!」でもこのレビューブログでも、あえて「容疑者」とか「被告」という呼称は使わないようにしている。
ボクにできる、わずかながらの抗議と抵抗の意味で。
薬物犯罪は「個人的犯罪」では?
いきなり「個人的犯罪」と言っといてなんだけど、そんなコトバは、多分、ない。というか、法的に「個人的犯罪」という定義があるワケじゃない。
ボクがここで言ってる「個人的犯罪」とは、「他人に迷惑をかけない犯罪」と言い換えた方が正確だと思う。
まぁもっと正確に言えば、犯罪という時点で「警察にご厄介になる」ので、「他人に迷惑をかけない犯罪」なんてホントはないんだろうけど。
となると「一般人に迷惑をかけない犯罪」の方が正確かも。
いずれにせよ、薬物犯罪は、他の多くの犯罪と違って、周囲に迷惑をかけることがない。
例えば交通違反とか、薬物犯罪より罪が軽くても、周囲の迷惑、ということで考えると、むしろ問題なんじゃないか、という犯罪は多い。
最も他人にかかかる迷惑が少ないんじゃないか、とすら思う。
なんてことを言うと「ラリって暴れたらどうなんだ」とかいう声もありそうだけど、それで他人に危害を加えたら、それはその時点で薬物云々じゃなく、立派な(?)暴行罪とか傷害罪とか、とにかく別の罪になる。
瀧さんのように薬物使用のみ(と仮定して)の場合、問題は彼自身とか拡がっても彼の周囲の人、に限定されるので、要するにテレビやネットで見てる第三者がとやかくいうハナシではない筈だ。
こういった「個人的犯罪」の場合、大事なのは「いかに更生させるか」「いかに再犯を防ぐか」であって、間違っても社会的制裁でボコボコにして再起不能にすること、ではない筈だ。
特に薬物犯罪の場合、現行の日本の法律では、薬物使用=問答無用で死刑、とかの一部の国とは違って、更生させて社会復帰、というのが大前提になっている。
なので、大騒ぎして寄ってたかってバッシング、というのはどう考えても日本の法体系に反するし、瀧さんに関する一連の報道に、彼をどう更生させるか、とか、どう再犯を防ぐか、という配慮は、これっぽっちも感じられない。
もっと言えば、絶対に死刑にならない犯罪者に対しては、被害者がいる場合はもちろんその救済が大前提だけど、そうでなければ「個人的犯罪」か否かにかかわらず、最も優先すべきは更生と再犯防止である筈だ。
これができないと、社会復帰しても帰る場所がない→生活保護、ということになるしかないし、再犯となると逮捕して最後は刑務所送り、ということだけど、この一連の費用はもちろん税金だ。
再犯者を出すということは、そいうことだ。日本国民全員に、実は迷惑が掛かっていることになっている。
「薬物報道ガイドライン」とは
薬物犯罪は他の犯罪と比べて、再犯率が高いと言われている。
その一番の理由は、もちろん薬物自体が持つ高い中毒性がもちろんあるけど、問題はそれだけじゃない。
薬物依存については、専門の医療機関がある事からも分かるように、れっきとした「病気」だというのが専門家などの一般的な見方だ。
それだけに、薬物依存症患者の周囲はもちろん、社会全体が問題に対する理解を深め、受け入れる体制が不可欠だとも言われている。
その意味でメディアの果たす役割は非常にい大きい筈だけど、今のメディアにその意識は微塵も感じられない。
再犯防止だけじゃない。
それ以前に新たな犯罪者を出さないようにする、という配慮も不可欠だ、という認識を海外の多くのメディアは持っているけど、日本のメディアにはそれもない。
興味本位でセンセーショナルな報道を繰り返す、なんてのは、もちろん論外。
ということで「ほぼナイ!」でも少し紹介したけど、2016年に薬物問題の専門家らが集まり、「薬物報道ガイドライン」というものがつくられ、各メディアへの協力要請が行われている。
このガイドラインについてはNPO法人「アスク」のサイトに詳しく載っているので、是非参考にしていただきたい。
<薬物報道ガイドライン|特定非営利活動法人アスク>
「薬物報道ガイドライン」は、非常に分かりやすく、薬物犯罪に対する報道のあり方として【望ましいこと】と【避けるべきこと】を明記している。
専門家の視点からつくられたというだけあって、非常に説得力があり、納得度が高い。
「自粛ムード」という名の「集団リンチ」
さて、やっと本題。
さきほど紹介した「薬物報道ガイドライン」の【避けるべきこと】の中には『(薬物犯罪者の)雇用を奪うような行為をメディアが率先して行わないこと』と明記されている。
そりゃそうだ。職を奪われた「元」薬物犯罪者が社会復帰したとして、前職が奪われ一切の収入が断たれ、周囲の目は冷たく偏見に満ち再就職もままならない、となった時、彼(女)の「元」薬物犯罪者、という肩書の「元」が取れてしまう可能性が極めて高くなる危険性は、薬物経験者でなくても容易に想像がつく。
それが、今回の瀧さんの事件に対する各メディアの対応は、思いっきり「雇用を奪うような行為をメディアが率先して」行っている、としか言いようがない。
各メディアの放送や配信、更には上映の自粛が一斉に決定していった。
そして極めつけが、『ほぼナイ! HEAD LINE』で取り上げた、電グルの旧作を含む全楽曲の即時販売中止と店頭にある商品の回収だ。
因みに、瀧さんの所属事務所は既に楽曲の販売停止に加え、瀧さん自身の契約も解除してしまっている。
少なくとも瀧さんは現時点で、見事に「雇用を奪」われ、無職となっている。
こうした一連の出来事があっという間に決まり、各メディアはさも当然のようにそれらを伝えている。
「薬物報道ガイドライン」なんて完ムシだ。
そして、いかにも日本らしいというべきか、この一連の決定について、法的根拠はどこにもない。
薬物犯罪者のCDを売ってはいけないとか、出演番組を放送してはいけないとか、映画を上映してはいけないとか、そんな法律はどこにもない。
更に言えば、法律はおろか、業界内での取り決めがあるワケでもない。
それぞれのメディアや企業が、「勝手に」決めていることだ。そしてその決断は、それぞれ悩んだりいろいろ検討した上での決断だったようだ。
つまり、「自粛」というヤツだ。それが、あっちもこっちも一斉に同じような決定。
こういった状況を「ほぼナイ!」でも紹介した通り、自粛ムード:Mood of Voluntary Restraint と言う。
因みに、英語自体は全く正しいけど、日本社会を知らないネイティブに向かって今回の瀧さんの事件の説明をした上で Mood of Voluntary Restraint と言っても多分、ピンとこない、という反応しか返ってこないと思う。
言葉の意味は分かっても、なぜそんなことをするのかが、多分全く理解できないだろうから。
そんなことをして、一体誰トクなんだ?というハナシになるだろう。
単純に、「集団リンチ」としか見えないんじゃないかと思う。
いや、それでも理解できないかもしれない。さっきも言ったように、結局はこのリンチのツケは、税金という形で日本国民全員が払わされる可能性が高いのだから。
と、散々書いといて最後にナンだけど、ボクは瀧さんのファンでもなんでもない。
ミュージシャン、ということで言えば、彼の楽曲は一曲だけ昔iTunesで買ったものがボクのiPhoneに入ってるけど、それは彼が好きだからとか、そういう理由ではなく、全く別の理由で。
あ、ただ今回の参考ページでも紹介している教授(坂本龍一氏)の今回の事件についてのツイートの最後のキメは、一生に一度くらいツイートして(似合うオトナになって)みたい、とは思ったけど。
ということで。
「音楽に罪はない」
イサ&バイリン出版 解説兼論説委員 合田治夫