年末特別企画:「注目Word」解説室拡大版…改めて徹底解説 “Kisha-Kurabu”(2018.12.27配信分レビュー:その2)
ー ほぼナイ! HEAD LINE ー
※年末特番で番組は特別編成のため、『ほぼナイ! HEADLINE』はお休みしました。
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『年末特別企画:「注目Word」解説室拡大版…改めて徹底解説 “Kisha-Kurabu”』
<参考:東洋経済オンライン> 記者クラブ制度が映すジャーナリズムの難題
もうかれこれ三年を超え、4年目に突入している『ほぼナイ!』で、番組開始当初から再三取り上げてきたのが「記者クラブ」だ。
なんと『ほぼナイ!』vol.02 (つまり2回目の配信)で特集して以来、ほぼ毎回のように、半ば意識的に「…というのは、記者クラブが…」といったセリフをバンバン出すことになった。
ボクは、仮に日本で何かの情報を知りたいと思ったときに、その最大の阻害要因、つまり一番のジャマになっているのが「記者クラブ」の存在だと、特にこの数年で強く確信してしまった。
本来は情報を伝えるプロの集まりであるはずの記者クラブが、だ。どう考えても、おかしなハナシだ。
実は海外でも “Press Club” というモノは存在するし、日本の「記者クラブ」の英語名は “Japan National Press Club” となってるけど、その実態はあまりにも海外の “Press Club” とはかけ離れている。
ところで、そもそも “Press Club” とは何なのかというと。
例えば何か事件などのニュースネタが起こった際に、メディア各社(や個人)の記者が取材先にバラバラに押し掛けたら、取材を受ける側(政府や官僚、政治家、企業、スポーツ選手に芸能人、などなど)は大変だ。
話題性のある取材対象者ほど、取材に押し掛ける記者の数は多く、取材対応だけで一日が潰れてしまっては、本来の業務・活動に支障が出てしまう。
ということで、個別に取材を受けることはせず、その代わりにまとめて記者会見を開いて、その場でまとめて取材を受ける、ということが行われたりする。
そこで取材を希望するメディアを取りまとめたりするのが “Press Club” だ。
ということで、いよいよ本題。
日本の “Kisha-Kurabu” と海外の “Press Club” がいかに違うかを、これから4つの観点でまとめてみる。
Diversity:多様性
例えばアメリカのメディアでは、「公平中立」な報道、という目標をとっくに「あきらめて」しまっている。
そもそも「公平中立」なんて、まさか神様じゃあるまいし、誰がどうやって決めるんだ、ということだ。
じゃあ自分の好き勝手に無茶苦茶な報道をやっていいかというと、もちろんそんなことはない。
アメリカでは、とにかく異なる立場の人の様々な意見・ものの見方を紹介し、最後は受け手(視聴者や読者)に決めてもらおう、ということになっている。
間違っても、自分たちの意見・分析が絶対に正しい、ということは言わない。
繰り返すけど、神様じゃないんだから、ということだ。
そうなると、(特にアメリカの)報道において最も重要なのは、Diversity:多様性 ということになる。
一つの報道に対して、必ず様々な立場の人々の意見・分析を紹介する。
立場が変われば、物の見方も違ってくるし、意見も違って当然、ということになる。
象徴的なのが、Op-ed:オプイド・オプエド というもので、異論を必ず紹介するという仕組みがある。
日本にはないので、当然ながら日本語訳もない。なのでそのまま、オプイド・オプエド。
強いて訳せば、異論とか反論、といった意味になると思う。
日本の記者クラブメディアは、常に公平中立で真実を伝えていることが前提になっていて、一切間違いはないことになっているので、そもそも報道の Diversity:多様性 という発想がない。
ということは、自分たちは全知全能の神だ、と宣言しているようなものだけど、もちろんそんな筈はない。
こうした自分たちが間違っているかもしれない、間違わずに報道していくことなんてできないんじゃないか、という疑いを一切持たない姿勢を、ボクは「謙虚さを欠いている」としか思えないけど、記者クラブの方々は、本気で自分たちは神だ、間違いなんかないと信じているんじゃないか、と思えて仕方がない。
怖い。世間一般では、こーゆーのを「カルト」って言うんでは?
Exclusivity:排他性
日本の「記者クラブ」を “Kisha-Kurabu” と最初に表記したのは、多分「こんなもの、とても “Press Club” と呼べるシロモノじゃない!」と憤った外国人記者の方の誰かだと思うけど、日本で活動する外国人記者の全員が必ず遭遇するのが、「記者クラブ」の Exclusivity:排他性 だ。
日本の「記者クラブ」には厳格な入会資格がある。早い話が、大手メディア以外は入れない。
日本全国、中央と地方で計800ほどの記者クラブがあると言われていて、クラブによってその加盟要件も微妙に違うけど、中央の記者クラブに限って言えば、日本新聞協会加盟の新聞社(全国紙+東京新聞)とそれに準ずる報道機関、となっているので、雑誌やフリーランス、更に海外のメディアは一発退場。加盟資格はない。
海外の “Press Club” は記者同士の親睦団体みたいなもので、別に入らなかったからといって、何か不都合があることはほとんどない。
ところが日本では、ほとんどの記者会見が「記者クラブ」によって取り仕切られている。
そして、「記者クラブ」外の記者(雑誌・フリーランス・海外メディア etc)がその会見に入ることはできない。
海外ではこんなことはありえないハナシで、「記者クラブ」が本来同じジャーナリストの仲間であるハズのクラブ外の記者を排除する、という、海外では間違いなく訴訟モノの事態が日本では日常的に展開している。
その結果、その道のプロである、専門誌の記者や経験や知識が豊富なフリーランス記者が「記者クラブ」から締め出され、「記者クラブ」の記者だけが会見で質問することを許される、ということになる。
取材対象者、つまり取材される側が個別の取材を一切受けない場合、「記者クラブ」外の記者は完全に取材の機会を奪われることになる。
海外の記者会見は、海外の記者にも門戸は開かれている。ほとんどの国では、自分が海外メディアの記者であり、ちゃんと活動している、怪しいもの(テロリスト)じゃない、ということを証明した上で申請すれば、取材許可が出る。
記者会見に入り、質問することも可能になる。日本とはエラい違いだ。というか、日本がヘンなだけなのだが。
ということで、海外メディアはせっかく日本に来ても、ロクに取材活動ができないまま報道せざるを得ない。
よく海外で日本のことが間違って報道されている、誤解されている、という話が出るけど、当たり前だ。
彼ら(海外メディア)は日本でまともに取材させてもらえないのだから。「記者クラブ」がジャマするせいで。
Collusion:馴れ合い
排他的な「記者クラブ」は、その一方で内部の結束は固い。
結束が固すぎて、他社と違ったことをすることは許されない。
規模の大きな記者会見となると、あらかじめ質問者の順番が決まっていたり、更には質問内容も事前に決まっていたりするようだ。
なので、会見に出席するほとんどの記者が、自分が質問することはない、という意識で、会見内容をひたすら記録することに専念している。
その結果、日本の記者会見は驚くほど静かで、ひたすら記者がパソコンのキーボードを叩く音「だけ」が会見場に響き渡る、という異様な光景が展開する。
一方、海外の記者会見では、日本の感覚で見ると、ほとんどケンカしてるんじゃないかと思えるほど、取材対象者と記者のやり取りというか「攻防」は激しい。
日本はその逆。いかに取材対象者に近づき、(できれば自分にだけ)情報をもらうか、ということを最優先にしている。
そんなワケで、ケンカ腰で記者が追及、なんてことは当然起こる筈もなく、ただひたすらに取材対象者に近づき、仲良くなることが記者の至上命題になっている。
更には、取材対象者の出世に伴い、記者自身も出世したり、その逆に、取材対象者の失脚に連動して…なんてこともあるようで、取材対象者と記者は一蓮托生。
こんな状況で、記者が本気で取材対象者を批判する、なんてことは起こる筈もなく、むしろその逆。
記者が取材対象の政治家の政策立案を手伝ったり、スピーチ原稿を書いたり、なんてことまで行われているとなると…
こういった状況を、Collusion:馴れ合い と言わず何と言うのか。
完全な出来レースなのだ。
Spin-Control:スピン・コントロール
「記者クラブ」の存在は、取材対象者にとって、実は非常に都合のいい存在になりうる。
特に霞ヶ関の官僚と「記者クラブ」の関係は、長年の馴れ合いから、実に官僚側にとって都合のいいものになっている。
まず、「記者クラブ」所属の取材現場にいる記者は、そのほとんどが意外なほど若い。
ベテランは現場に出ず、シンドイ現場に行かされるのは新人や若手、というのは一般の企業でも良く聞くハナシだけど、記者クラブメディアも例外じゃない。
加えて、官僚にとって痛いところを突いてくる、知識や経験が豊富な「難敵(専門誌やフリーランス、海外メディアなどのクラブ外のジャーナリスト)」は「記者クラブ」側が勝手に排除してくれているので、百戦錬磨の官僚からすると赤子の手をひねるような若手記者しかいない。
過去の経緯に疎く、専門知識にも乏しい「記者クラブ」記者は、官僚から渡される情報を一方的に信じるしかない。
しかも、官僚側はご丁寧に、自分たちのご都合テンコ盛りの「解説」を添えた詳細な資料を「記者クラブ」側に提供している。
これをそのまま報道で流せば、ロクな取材もせずに報道ができてしまう。
そう、記者の方もラクに仕事ができる。悲しいことに、Win-Winの関係ができてしまっているのだ。
こうして、批判はおろか一切の疑問もないまま、官僚側の情報が「事実」としてそのまま報道されることになる。
これは海外の常識では、報道とは言わない。一切の批判も、検証もない。完全に「広報」である。
このように「記者クラブ」を使って、自分に都合のいい情報を一方的に流すことで、それを「事実」にできる。
完全な Spin-Control:スピン・コントロール(情報操作) だ。
もちろん、こんなバカなことは、海外のメディアでは起こらないし、通用しない。
以上、日本の “Kisha-Kurabu” が海外のメディアと比較して、いかに違うかをまとめてみたけど、実は残念ながら、これでも一部に過ぎない。
それでもあなたは、こんな「記者クラブ」が必要だと思いますか?
イサ&バイリン出版 解説兼論説委員 合田治夫
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