「黒塗り浜ちゃん」に海外メディアの反応は?:日テレの対応に認識のギャップ(2018.1.24配信分レビュー:その3)

<日本人の人種問題意識に非難集中です>

昨年末に放送された日本テレビ系列の特番で、出演タレントが番組内で黒人に扮した際、顔面を黒塗りにしたことに対し、海外の大手メディアが批判的な報道を行い、日本人の差別意識を取り上げています。

年末恒例の日本テレビ系バラエティ番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』年越しスペシャルは『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』と題して放送され、番組内で刑事役で知られるエディー・マーフィーに扮したタレントの浜田雅功氏が顔面を黒塗りにして出演した事に、番組を視聴した日本在住の外国人などがSNSを通じて不快感を表明、米 The New York Times 紙英 BBC 放送など、多数の海外大手メディアがこのことを大々的に取り上げ、話題になっています。
欧米ではタブーとなっている行為が人気バラエティ番組で行われたことに、報道やネット上で日本人の差別意識を問題視する声も上がっています。

(以上 HEADLINE 2018.1.24)

< ほぼナイ! レビュー動画(Vol.31)【 見逃し配信を視聴 (YouTube)】>

『ココがヘン!ニッポンのニュース:「黒塗り浜ちゃん」に海外メディアの反応は?:日テレの対応に認識のギャップ

<参考:シネマトゥデイガキ使、浜ちゃん黒メイク問題 ニューヨークタイムズも話題に

かみ合わない議論「差別の意図はない」
Baye McNeil

Baye McNeil 氏(Twitter写真)

年末恒例の名物番組となった『ガキ使』の『笑ってはいけないシリーズ』は、例年通りの人気となった一方、放送後に様々な物議を醸すことになった。
中でも、浜ちゃん(ダウンタウンの浜田雅功氏)が黒人俳優で刑事役として知られるエディー・マーフィーに扮した場面は、放送終了直後に日本在住の黒人作家 Baye McNeil 氏が自身のツイッターで「#StopBlackfaceJapan」「#日本でブラックフエイス止めて」の2つのハッシュタグをつけたツイートを番組内のシーンを撮影した写真付きで投稿するなど、ネット上で黒塗りシーンの是非で議論が白熱、これを複数の大手海外メディアが取り上げた。
番組を放送した日本テレビは黒塗りに対する批判の声について「意見は承る」としながら「差別の意図は全くなかった」として、謝罪や反省の声明は一切出していない。
つまり日テレは(黒塗りを)全く悪いとは思っていない、ということだ。この日テレの姿勢はホンネだろう。
実際日テレは番組の公式Twitterで放送中に「【ガキ使速報】浜田が着替えたらエディ・マーフィーになりました。」とそのシーンの画像を投稿しているので、実際この「黒塗り浜ちゃん」のシーンを、全く問題ない、と考えていることがわかる。

こうした、差別の意図はない→全く問題ない、という主張はその後のネット上での議論で「黒塗り浜ちゃん」容認派に数多くみられる。
日テレも、そして浜ちゃんはじめ番組関係者も、差別の意図は全くなかっただろうし、McNeil 氏のような声は、まさに寝耳に水だったと思う。
だが、だからこそこの論争は今も続いていて、海外メディアも大きく取り上げたのだ。

この問題で最も深刻なのは、「黒塗り浜ちゃん」容認派と否定派の議論がほとんどかみ合ってないことだ、とボクは思う。ほぼナイ!」でもこの点を強調した。
「黒塗り浜ちゃん」に批判的な海外の声には、日本人が黒人差別をするような文化背景を持たず、また黒人差別の歴史的な背景にもほとんど無知・無関心だ、という前提があるものが多いようだ。
この論争の火付け役となった McNeil 氏もそうだ。「ガキ使」が「悪意をもって」「意図的に」黒人差別的表現をした、とは考えていない。
なので、ここまでは容認派も否定派も完全に一致している。
両者の分岐点となっているのは、容認派(と日テレ)はここで「だったら問題ないじゃん」となっていて、一方(主に海外の)否定派は「意図の問題じゃない。結果の問題だ!」となっている点だ。

「黒塗り」は欧米の、少なくともメディアでは、文句なくタブーとなっている。
「日テレ~、アウト~!」で議論の余地はない。
なので、この欧米、というか黒人を抱える国際社会のスタンダードを、日本のメディアは受け入れるのか、ポイントはここだ。
日テレはこの点について全く答えてない。「意図がなかった」かどうかは訊かれてない。
もっと言うと、そんなことはわかってる、なのだ。

「プロセス」重視の日本と「結果」重視の諸外国

日テレの「意図はない」という声明は、日本の他の分野でも結構目にする。
例えば、両者がかみ合ってない日本にまつわる国際的な他国との問題、といえば従軍慰安婦問題が思いつく。
当時の日本軍に悪意(強制性)があったか否かの「プロセス」を問題にする日本側と、当時の被害者への謝罪を求める韓国側との長年のかみ合わない議論は、もちろん問題が違うから全く一緒じゃないけど、かなり共通する部分がある。
どのような「プロセス」があったか否かは問題ではなく、「結果」(従軍慰安婦問題で言えば女性側の望まない性交渉)がどうだったか、が全て。
韓国人女性に対して望まない性交渉があった、そしてその相手は日本軍関係者だった。
一部の例外を除き、これは日本側も認めている事実だ。であれば、その時点で韓国側は「謝れ」なのだ。
日本側が挙げる、日本軍の態度は案外紳士的だった、とか、実は仲介者は韓国のあっせん業者だった、とか、こういったことは全て「プロセス」にあたる。
「プロセス」を必死に語る日本と「結果」の責任を問う韓国、完全にかみ合ってない。

「プロセス」重視、といえば、例えば小学生の「宿題(やったけど)忘れました」に通ずるものを、ボクは感じてしまう。
宿題を忘れた小学生が先生に叱られ、その言い訳として「(ホントはやってないのに)やったけど、朝来るときに机の上に置き忘れてきちゃった」という、定番の、アレ。
あれ?定番なのはボクの小学生時代だけ?
この言い訳は完全に「プロセス」を説明しているに過ぎない。
だが、オトナの社会では結果が全て。その場に宿題がない、そこが問われるのだ。
でも、小学生、子どもの社会は往々にして「プロセス」を考慮してもらえる。
「置き忘れたのか。じゃあしょうがないな。明日忘れずに持ってきなさい。」
で、無罪放免になったりする。

経済大国とか何とか言って、日本は国際社会で、いまだに子どもの気分が抜けてないのかも。
だが、まもなくそれでは通用しない場面が日本に訪れる。実はそれを危惧したのがあのツイートだった、と McNeil 氏は明かしている。
詳細は氏のインタビュー記事をぜひ読んでほしい。

「笑ってはいけない」浜田の黒塗りメイクが物議 黒人作家が語った不安ハフポスト

ベッキー「タイキック」、そして…
ベッキー

ベッキーさん(公式ブログ写真)

『笑ってはいけない』でもう一つ物議を醸したのが、不倫報道でさんざん叩かれたタレントのベッキーさんが「タイキック」されたシーンだ。
こっちの方が「黒塗り浜ちゃん」より問題だ、という声もある。
このシーンも海外のテレビでは完全にタブーだ。嫌がる(ように演じている?)女性のお尻を男性が思いっきり蹴る、なんて、まぁお目にかかれない。
まして、それを男性が取り囲んで大笑い、なんて、絶対「ナシ」なシーンだ。
こっちの方が、日テレとしても、言い訳しずらいのではないか。
日テレは、それまで彼女をさんざん起用しながら、不倫という極めてプライベートな問題が発覚すると手のひら返しでバッシングし続け、仕事を奪い、今度は「タイキック」で笑いもの、である。
彼女がその気になれば、海外の人権団体が日本政府に勧告、ぐらいのことは十分ありうる。
仮にそうなれば、日テレや他のテレビ局は、一気に「自主規制」に動くだろう。
きっと、「運が悪かった」とか思いながら。
まぁ、(芸能界で活動を続けていこうとしている)彼女はそんなことしないだろうけど。

日テレに限らず、日本のメディアは「記者クラブ」に代表されるように、全社右にならえで、社の独自性、というのはカケラもない。
海外ではメディアが独自色を失うのは自殺行為なのだが、そんなことはどこ吹く風。
特にチャンネル数が少ない=競争相手が少ないテレビ業界は、番組編成から何から完全に横並びで、面白さを失いつつあり、視聴者離れが激しい、と言われている。
更に悪いことに、その横並び具合が、今回の問題のように悪い方向に向いてしまっている。
人権意識の低さ、弱者への冷たさ、その逆に強者には媚びる。
詩織さん事件しかり、だ。

何よりいざというときに自分たちの責任は取らない。問題が起こりそうなら徹底的に逃げる。
今回はたまたま日テレの問題だったが、他局の番組でも似たようなケースはよく目にする。
そして横並びのテレビは、皮肉にもその凋落ぶりも横並びで、多くのタレントはテレビが勢いを失いつつあることを感じ、
ついに昨年から、ネット番組が本格化し、これまでテレビを主戦場としていた数多くのタレントが、AmazonPrime、Netflixといったネット動画メディアへの露出を増やしてきている。

日本のメディアは、自滅する前に覚醒するだろうか。

イサ&バイリン出版 解説兼論説委員 合田治夫

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