香港「逃亡犯条例」騒動と日本のメディア:大人しい?それとも…(2019.6.26配信分レビュー:その1)

ー ほぼナイ! HEAD LINE ー
<法案が事実上の廃案です>
林鄭月娥香港行政長官

林鄭月娥香港行政長官(写真:Wikipedia)

「逃亡犯条例」改正案を巡り、大規模デモを受ける形で香港政府は事実上の法案撤回を18日に表明、香港市民の批判の的となっている林鄭月娥(英語名はキャリー・ラム)行政長官は記者会見で混乱の責任を認め謝罪しました。

香港内にいる犯罪の容疑者を中国本土からの要求に応じて引き渡すことを可能にする「逃亡犯条例」。かつてイギリスの占領下にあった香港は、1997年に中国に返還されたものの、特別行政区と呼ばれる「特別扱い」を受け、中国本土とは異なりそれまでのイギリス時代の制度を引き継ぎ、民主主義の影響が強く、中国本土と異なり自由な社会がある程度実現されていました。
「逃亡犯条例」はまさに、「香港のイギリス色」を薄め、「香港の中国化」を加速させる大きな一歩として、多くの香港市民の反発を招いていました

(以上 HEADLINE 2019.6.26)

< ほぼナイ! レビュー動画(Vol.46:【 見逃し配信を視聴 (YouTube)> ※配信時に不具合発生の為、後半部分が録画できておりません。

 

『ココがヘン!ニッポンのニュース:香港「逃亡犯条例」騒動と日本のメディア:大人しい?それとも…

<参考:BBCニュース【解説】 香港デモ、急進派の若者たちはどうやって政府を動かしたのか

そもそも「逃亡犯条例」とはなにか

香港のみならず、世界中の注目を浴びていた「逃亡犯条例」は、香港政府が強力に成立に向けて動いていたけど、条例制定が現実味を帯びるにしたがって多くの香港市民が強い反対の姿勢を示すようになり、抗議行動が香港各所で激しさを増していった。
この香港市民の抵抗に耐え切れなくなった香港政府が出した事実上のギブアップ宣言が6月18日の法案撤回声明だ。
ただし、この際にギブアップ宣言した、香港政府のトップである林鄭長官だけど、元々香港の民主化を求める勢力から、中国寄りとの批判が強かった人物。
それだけに、ギブアップは口だけで、実はほとぼりが冷めたらしれっと条例を通す気マンマンじゃないの?
と、条例反対派の香港市民から疑われてるのに加え、いくら報道陣に法案を白紙撤回しないのかと追及されても明言せず、反対派が要求する自身の辞任も拒否、という姿勢が「そらみろ、やっぱりその場しのぎじゃないか」とかえって反対派の疑念と反発を招くことになり、法案撤回表明から1ヶ月以上たった現在も、市民の抗議運動は収まる気配がない。

ところで、今回話題となっている「逃亡犯条例」とは一体なにか。
簡単に言えば、香港にいる容疑者を、中国側の要求で中国に引き渡すことができる仕組みだ。
ただ、この「逃亡犯条例」、中国政府の悪用が懸念されている。
これが、例えばかなり容疑が明らかな、中国から逃げてきた凶悪犯罪者を中国につき返す、というのならまだわかるし、特に香港市民の反対もないだろう。
しかし、この「逃亡犯条例」には、反中国政府の活動家が中国政府に引き渡される可能性が指摘されている。
つまり、中国政府の気に入らない活動を香港で行う人物を、中国政府に引き渡せるようになってくるのではないか、ということだ。
こうなると、香港の民主化運動を中国政府が堂々と妨害するようになってくるのは明らかなので、この条例の反対運動が盛り上がっているのだ。

実はイギリスだった香港

1997年に香港はイギリスから中国に返還された。そう、香港はかつて、イギリスだった。
だからこそ、その名残というか、林鄭長官にもキャリー・ラム、という英語名がある。
名前だけじゃない。返還当時の中国は今以上に経済力も弱く、共産主義の色彩が今以上に強い国だった。
つまり、早い話が、自由がない国。更には、独裁色が強く、政府の横暴が通用してしまう国。それが当時の中国だった。
今でもそうじゃないか、という意見もあると思うけど、当時はもっとヒドかった。
だからこそ、確かにかつて(戦争に敗れイギリスに占領されるまで)香港は中国の一部だったとはいえ、香港返還はあくまでも条件付きだった。あくまでもイギリス時代の良い部分を残す、という。
特別行政区という、ちょっと変わった制度を香港に適用したのも、「自由な香港」の存続を望むイギリスと、完全な返還を求める中国との間での、まさに妥協の産物だった。

しかし、当初から懸念されていたように、いやもしかしたらそれ以上に、「香港の中国化」は進んでいる、と言われる。
確かに中国は急速な発展を実現し、世界第二位の経済大国の地位を手に入れた。
しかしその一方で、中国の社会体制には批判も多い。中国共産党の一党独裁体制による人権軽視の姿勢は、民主主義・自由主義を尊重する欧米諸国からは、いまだに中国社会に対する批判的な声は少なくない。
返還当初はイギリス統治時代の自由な雰囲気が継続していたし、中国政府から香港の自主性もある程度認められていた。
それは今も続いている、ことになっているが、実際には徐々に中国政府の影響力が強くなっていると感じる香港市民も多い。
それは、中国政府寄りの姿勢がたびたび批判されてきた林鄭長官の就任以降、香港の民主化を求める香港市民の間でより強く懸念されてきている。

デモは香港だけじゃない

今回の香港以外にも、それぞれの理由でデモは文字通り世界中に拡がっている。
ほぼナイ!」でもいくつか例を挙げたけど、現在は沈静化したようだけど、少し前まで連日世界のニュースをにぎわせたフランスの「黄色いベスト運動Yellow Vest movement」とかは、典型的な政府に対する国民の不満を表したデモだった。

さらに、少し毛色の違う(?)ものだと、各国の政府などに抜本的な温暖化対策の実施を求めるデモ。なんと125ヵ国約180万人に上る参加者がいたと言われている。
更に、デモは先進国だけのものじゃなく、途上国でも大規模なデモが頻繁に起きている。
アラブの春Arab Spring」は記憶に新しいところだけど、アジアや南米などの途上国でも、国の民主化や市民の自由を求めるデモは頻繁に起きている。
デモの理由は様々で、その国や地域の情勢にあわせたデモが起きているけど、まぁ、おおざっぱに言えば、基本的にデモは権力に対する不満がその理由になっていることがほとんど。
つまり、その国の政府に対する国民の不満が、デモの原動力になっている。

なぜ日本でデモがほとんど「起きない」か

文字通り世界中でデモが起こる中、デモがない(か、少ない)ところもなくはない。
一つは、北朝鮮に代表されるような、一党独裁で政府が国民を完全に掌握している(というか、早い話が押さえつけてる)国や地域。
そしてもう一つ、一党独裁でもなんでもない筈だけど、なぜかデモが極端に少ない国、それが日本だ。
いや、実はこの表現は正確じゃない。確かに他国と比べて人口の割にデモが少ない、とはいえ、デモが全くないワケでもない。
正確に言うと、デモがほとんど「起きない」のではなく、「起きてないことにされている」のだ。

さて、ここから一気にいつもの「ほぼナイ!」らしくなる。

起きてないことにされている」とはどういうことか。
それはまたしても、主要メディアが反政府デモを極力取り上げないようにしている(としか思えない)からだ。
この点、主要メディアの姿勢は徹底していて、反政府デモを報道する際は、デモに参加する市民による破壊行為など、反政府デモの負の部分を強調するような報道が目立つ傾向にある。
という事を言うと、そんなことはない、両方の立場からの視点を公平に報道するようにしている、というメディア側の「言い訳」が聞こえてきそうなので、一応補足。
ボクが日本のメディアを批判する際に「伝えない」「取り上げない」という時、それは実は若干正確ではない。
メディアもさすがに、起こったことを起こってない、とは言わない。それだと完全に情報のねつ造になってしまう。
日本のメディアが姑息、あるいはタチが悪いのは、公平に伝える、と言いつつ、その報道の量が明らかにバランスを欠いている点にある。
つまり、両方を公平に取り上げた、と「言い訳」する為に、わざと反政府的な内容を「ちょっとだけ」報道し、政府の言い分を大々的に取り上げる、というか、垂れ流している。
結果、当たり前のように「反政府的報道」は圧倒的に少なくなっていて、普通に日本の大手メディアの報道だけを見ていると、まるで反政府デモなんて「起きてない」ように感じてしまう。
まさに「起きてないことにされている」のである。

記者クラブ内で流される政府側の言い分を、何も考えずにそのまま流していると、当然そういうことになる、というのはいつも言っている通りだ。

さて今回の「ほぼナイ!」では、全体の注目Wordとして、Wire Service通信社 を取り上げた。
日本にも海外同様、Wire Service通信社 が存在する。具体的には、共同通信と時事通信だ。
特に地方メディアにとって、全国ニュースや海外のニュースを独自に取材し、報道することは、事実上不可能だ。
そこで地方紙や地方局が全国ニュースや海外のニュースを報道する場合は、ほとんどが通信社からニュースを買って、それをそのまま流すことがほとんどだ。
ここまでは、日本のメディアも海外のメディアも事情は一緒だ。
Wire Service通信社 とは、まさにそのために存在する。

では、何が日本と海外のメディアの違いか。それは、Wire Service と一般の(それ以外の)メディアとの線引きが、しっかりしているかどうか、という点にある。
Wire Service は通常のメディアと違って、論説や独自解釈を一切挟まず、ただただ、取材した事実を淡々と伝えるのみ。それが彼らの役目だ。

一方、論説や自社の見解や解釈を思いっきり挟み、視聴者や読者に対し、自分たちのスタンスを明確に見せた上で、分かりやすく解説し、視聴者・読者に対し判断材料を提供する。
これらは全て、Wire Service 以外の一般の報道メディアの役割だ。
実に明確に新聞やテレビ・ラジオと言った一般の報道メディアと Wire Service は役割が異なっており、明確に線引きされている。

では、日本はどうか。テレビや新聞など、一般の報道メディアと通信社の間の線引きはかなり曖昧になっている。
日本の大手メディアは、世界のジャーナリズムのスタンダードとかけ離れているので、まず本来メディアが果たすべき役割はほとんど果たされておらず、ただただ記者クラブの情報を垂れ流しているだけだったりする。
となると、通信社も非通信社メディアも、結局自分たちの見解や分析を明確にすることなく、曖昧に情報を垂れ流しているだけなので、「通信社の一般メディア化」「一般メディアの通信社化」が起こってしまっていて、いよいよ違いが曖昧になってしまっている。

最後に話をデモ報道に戻す。
日本のデモ報道はやはり海外のデモ報道と基準もスタンスも違うので、海外メディアで今回の香港デモ報道を見るのと、日本のメディアの報道とを見比べると、かなりその内容に違いが出てくる。
日本のメディアはやはりまともに機能してないですね。という、いつもの結論。

イサ&バイリン出版 解説兼論説委員 合田治夫

Follow me!

香港「逃亡犯条例」騒動と日本のメディア:大人しい?それとも…(2019.6.26配信分レビュー:その1)” に対して1件のコメントがあります。

コメントは受け付けていません。